out-put 〜魂の言葉〜
あたしの好きな「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」
(ジュリア・キャメロン著・サンマーク出版)という本があるの
だけれど、その本で提案されていることのひとつが、
「脳の排水」という行為。
毎朝、起きてすぐにノート3ページ分、30分くらいかけて、
ただただ、頭に浮かぶことを思うままに書き連ねる、という
作業がそれなんだけど。本の中では「morning page」
という名前で呼ばれていた。
3ヶ月くらいそれを続けたことがある。それはまだ下のちび達が
園に上がる前で、ぴよこが園に通っていた頃のこと。あたしは
ぴよこの夏休みの時期に併せて、行っていた。結構気持ち
よいのよ、気持ちに整理がつくんだよね。
「脳の排水」ってことは、きっと、溜め込んでしまった思考を
out-putしていく作業なんだと思うんだけど、時々あたしには
その作業が必要みたい。人にもよく指摘されるけど、あたしは
思考型なんだよね(笑) でも、これは習性だから仕方ない。
あたしの個性なんだと、あたしがそう望んだからこう生まれて
来たんだと、受け入れて付き合っていこうと思っているけど。
これも今朝ほど書いてた、「みずがめ」「天王星」っていう
キーワードに該当するよなぁ、と思う。アセンダントがみずがめ座、
ということで、もう、無意識の習性としての傾向、「思考癖」って
こと(笑)
でも、mauiに行く前の日々の目眩を、色んな人から色んな
角度で解釈してもらって、帰国後しばらくしてようやく、その目眩から
解放されて、つくづく、頭で色んなこと、考え過ぎていたんだなぁ、と
思って。努めて、今この瞬間考えても仕方ないことは、考えない
ようにしたり、人の感情を頭で理解しようと試行錯誤したりしない
ようにしてみてた。
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ところで、今、transit chart上では、みずがめ座にいる海王星と
しし座に入っている土星が180度、つまりoppositionの角度、
aspectを形成中。
これって、out-putのエネルギーとして捉えるといいよなぁ、
とあたしは感じてる。だからpicanteクラスの皆さんには、
口を酸っぱくして、何度もお伝えしているんだけど(笑)
だから、あたしもこうして何とかout-putしようと、こうして
また書き始めてる。海王星は形にならないエネルギー。
人間の肉体レベルで海王星を使う時には、あたしは
よく、情報をキャッチするアンテナとして使うといい、
っていうんだけど。
アンテナを立てる、という意識が、どんな情報をキャッチするのか、
という自己の選択に繋がるから。海王星は形を持たないエネルギー
だから、形を持たないエネルギーはみんな「海王星」に含まれて
いる、というのがあたしの感じているところで。だから、自分で
意識してどんなエネルギーを拾うのかを選択しないと、
「魑魅魍魎」に取り囲まれたり、「暗中模索」状態に陥ったり
「意識が茫洋として散漫」になったりするんだと思うのだ。
つまり、現実の中にグラウンディングし辛い状態に囚われて
しまう可能性がある、ということ。
で、現在反対側に来ている土星は、それに対して、エネルギーを
現実に落とし込んでくれるエネルギー。つまり、地上にエネルギーを
具現化してくれる。具現化するということは、例えば、丸太ん棒から
仏像が掘り起こされるみたいに、形をそぎ落とし、余分なものを
取り除き、エネルギーを圧縮させる行為。このエネルギーが
あるからこそ、あたし達は地球に肉体を持って存在していられる、
ということになる。
でも、エネルギーを圧縮する、ということも、自分で意識して
使わないと、強制的になったり、過度のプレッシャーの
エネルギーになったりして、非常に窮屈な苦痛なエネルギーと
化してしまう。
だから、あたしは海王星opposition土星のコンビは、
上手に使わないと、個人においては、鬱状態を誘発する
エネルギーになる可能性があるんじゃないか、と危惧して
いるのだ。
実際あたし自身、鬱状態にまでは陥らなかったけど、
ここ数ヶ月、書くことが妙にプレッシャーになっていた。
書かずにいること、out-putせずにいることが、より一層、
拍車をかけて自分にプレッシャーをかけてしまう、という
悪循環に陥っていたのだ。
だから、ここで一旦、勢いをつけて、書いて、吐き出して
みようと思う(笑)
あたしにとっての、ただのout-putの作業だから、
結論なんかないかもしれない。論理的にも矛盾して
いるようなこともあるかもしれないけど、とにかく
勢いに任せて書いてしまいます。
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昨日に続いて、これも、あたしのここ最近の持論だけど、
ホロスコープチャートって、チャート内に点在する星を読んで
いくんじゃなくって、星のエネルギーをどう使っていくかが
見えてくるツールで、そのコツは、エネルギーのベクトルを、
ホロスコープチャートの中心に向けて流してみる、
ということ。
何故なら、ホロスコープの中心に、いわゆる「忘我の境地」が
あるハズだから。あたしは、この中心点が、例えば人が
「瞑想状態」に入った時に「宇宙」とか「天」に繋がる経験を
する、って感じてて。
そこでは、例えば太陽の持つ「自我」のエネルギーとか、
ドラゴンヘッドが示す、「魂のエゴ」なんていうエネルギーから
解放されるんだと理解してる。だから「上」と繋がれる。
でもこれは別に、部屋を暗くしてお香を焚いてロウソクを
灯したりして、「瞑想状態」を作るために「瞑想」しなくても
可能だと思うんだけどね。
よく、マラソン選手なんかが、走っている間に肉体の感覚や
時間の感覚を忘却してしまう程の、とても気持ちよい瞬間を
迎えることがある、なんて言われて、「ランナーズ・ハイ」って
呼ばれるらしいけど、あれだって多分、瞑想状態の一種
なんだと思う。mauiの師匠のjaneannも、「あたしなんか
いっつも瞑想してるわよ(笑)」って笑っていたけど、それは
つまり、禅とかYogaみたいに、「静」の状態を作らなくても
瞑想状態に入ることは可能ということ。
瞑想が「上」と繋がりやすい状態を作るためのプロセスなら
余計にそれは言えると思う。ただ、「上」と繋がるという感覚を
意識的に作り出すなら、いわゆる「瞑想状態」を作るのも
人によっては有効手段なんだということだろう。あたしの
友人でバイク乗りがいるけど、彼はバイクに乗っている時に
繋がってしまうらしい(笑)
あたしは、「瞑想行為」は好きだから、mauiでも、「ヘイアウ」と
呼ばれる、「聖地」とされる場所に行くたびに、「瞑想」してた。
っていっても、体を楽にしてあぐら組んで、目を閉じるだけ。
本当はあたしは寝転がって「瞑想」に入るのが好きなんだけど(笑)、
それだと、意識を保ったまま瞑想状態に入るのが難しい。睡眠状態
に入りやすいから(笑)
瞑想状態に入ると、あたしは色んなビジョンを見るんだけど、
mauiで、あちこちで瞑想していて、気づいたことがあった。
それはとあるヘイアウに行った時のこと。一般的には知られて
いない場所だったからか、とてもエネルギーがレアな場所で、
荘厳というか幽玄というか、そんな「気」に満ちあふれていて、
エネルギッシュな場所だった。
聖地というからには、そこに入らせてもらったお礼に、なにか、
捧げものをしたいなぁ、と感じたのだけれど、生憎あたしは
chantも知らないし、お花なんかの手みやげも持ち合わせて
いないし、前回のmauiは、「歌」も「踊り」も「ウクレレ」も
それぞれの名手が揃っているという、超豪華なメンバー
だったので、そんな手前、唯一あたしにも何とかできそう、
っていう「歌」も、ついつい封じ込めてしまい(笑)
何か気の効いたものは他に残っていないかね??と自分自身を
振り返った時に思いついたのが、
そうだ!この土地に、瞑想を捧げよう!
ということだった。特にmauiは波長が合うのか、mauiで
瞑想状態に入ると、簡単にビジョンが見えてくるから、
あたしは、その瞑想状態を捧げようと思ったのだ。
ゲートで祈って、土地に入るpermissionをもらって。
ここ、と思うポイントに座って瞑想状態に入って。
思った通り、すぐ色んなビジョンが見えてきたのだけれど、
時間にしてどれぐらいだったんだろう?
この時の瞑想体験であたしはひとつ悟ったことがあった。
あたしは瞑想を捧げるつもりだったんだけど、どうも、
それはあたしが一方的に捧げた訳じゃなく、見えて
きたビジョンは、彼らが見せてくれたもの、シェアリング
してくれたものだったということ。
つまり、それは、あたしの瞑想状態に、彼らがビジョンで
応えてくれる、というセッション状態で、彼らがあたしに
分かりやすいビジョンでコミュニケーションをとろうと
してくれた、ということ!
2005年にmauiに行った時、初めてiao valleyを
訪れて。その時のツアーでは、iao valleyがツアーの
最初に訪れたヘイアウだったのだけれど、あたしは
その時、川の中にある、ある岩に惹かれて、何故か
急にその岩の上で瞑想してみたい、と唐突に感じたの
だった。それがあたしにとってのmauiでの初の瞑想
経験(笑)
その時、色んなビジョンが見えた。三角やら渦巻きやら
鯨やイルカやら魚やら。そして、最後に見えたのが、
見知らぬ古代都市。
あれは何だったんだろう?と、ずーっと思っていた。
ビジョンというのは、エネルギーを五感で捉えるひとつの
形態だ、って理解したのは帰国してからのこと。
ただ、どうしてあたしはあれから、そうやってビジョンが
見えるようになったのかは、ずっと謎だった。たまたま
そのツアーに、エネルギーワーカーさんがいて、とても
パワーを持った人だったから、その人の影響を受けた
可能性もあったのかもしれないな、とか、そんな風に
解釈していたんだけど。
でも、今回、そのヘイアウでの経験を通じて気づいたのだ。
あの時のビジョンも、彼らがあたしとコミュニケーションを取ろうと
してくれて見せてくれていた、彼らの言語だったんじゃないか、
ってこと。
それで、あたしの石の師匠であるハマダヨーコ女史が常々
言っていた、
「石は言葉を持たない。石は言葉というツールを使っての
コミュニケーションはしない。石が言葉を使って話しかけてきたなら、
それは石自身ではなく、石に宿っている何かの可能性がある。」
「言葉を持たない言語、それが宇宙の言語ということ」
これらのことが、この時、ストンと腑に落ちたのだった。
そしてそれは、あたしがチャートから考察していた、文字や
言語はアトランティスの産物。レムリアは言語を持たないだろう、
ということにも繋がった。
簡単に言えば、古い洞窟や遺跡に残された情報のうち、
「絵画」はレムリアで、「文字」はアトランティスに繋がる、
ということ。
そうすると、象形文字っていうのは、中間層、移行期
なのかな。あの、絵画を記号化する行為、っていうのが
非常にアトランティスちっくで興味深い(笑)
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で、subjectの「魂の言語」ということ。
これは、実は、そんなものはありません、っていうことなのかも。
魂は、「言語」をもたないのではないか、というのが今あたしが
推察していることなのだ。
うーん。何かの本で、魂は地上に降りてきて、肉体に宿った
瞬間に、記憶を消滅してしまう、という説があって。あたしは
その情報源を読んだことがないので、概念としてだけ、そういう
捉え方がある、って知っているんだけど。そして、それは
非常につじつまがあう気がしていて、よくその説を、
クライアントさんとのセッションや、クラスの最中に持ち出して
きたんだけど。
アトランティスの前にレムリアが存在していたなら、魂は
本来、言語なんて持っていないんじゃないか、っていう気が
していて。っていうことは、魂は記憶を、言語として持ち合わせて
いないだけで、だからそれを肉体に伝えることができない、
というか、肉体レベルでのあたし達自身が、魂の記憶を、
思考という回路でキャッチしようとする限り、それは肉体に
降りてくるハズはないのではないか、と。
そして、その状態がいつの間にか、「魂は魂の記憶を消されて
地上に降りて来る」という概念に当てはめられてしまって、
「消されている」という概念、ストーリーに、あたし達は
取り込まれてしまっているのではないか、と。
********************
昔、芸術学科にいた頃、ギリシャの哲学をちょっとかじって
いたことがあった。その頃のあたしの理想の人生は、
「高等遊民」(笑) 労働から解放されて、思考することを
特権として与えられるなんて、なんていう贅沢だろう!
と憧れてた(笑) 今思えば、この、あたしの思考好きが、
古代ギリシャ時代への憧れに繋がっていたんだなぁ(笑)
ある時期まで、あたしはやたらとアカデミックな人間
だったのだ(笑)
でもさ、今、こういう世界観の中から見直してみると、
例えばアルキメデスがお風呂の中で、浮力の情報を
キャッチしたりだとか、プラトンが「饗宴」の中で、酒に
明け暮れしながら「哲学」を追求している様子なんかを
書いていたりするのを読んだりしてると、「水」も「酒」も
海王星だし、
わはは、海王星アンテナ使って情報を降ろしていたんだなぁ〜
なんて思ったりして、実はそこに惹かれていたのかも(笑)
んでも、まぁ、彼らは思考して理論立てていくことで時代を、
世界をリードしていったんだけど。そこはとてもアトランティス
ちっくで。まぁ、いってみれば、右脳と左脳が上手にバランス
とれていたんだろう。
でも、彼らが降ろしてきた情報を、後世で「学問」としての
情報と受け取っちゃった時に、色んな弊害が出てきちゃったん
だろうなぁ。。
「魂は記憶を消されてきました」
ということを、過去の偉大な哲学者が提言した学術の一遍
として受け取ってしまえば、そのまま考察するまでもなく。
消されちゃっているんだから、思い出せなくても仕方ないやね、
と。で、だんだん、魂が肉体に宿っている、なんていう感覚も
消え失せてしまい、魂が悲鳴を上げているかもしれないこと
にも気づかず、生きているのが、現代のあたし達の姿なのかも。
********************
でもさ。星も言葉なんかじゃ教えてくれない。言葉に落とし
込むのは、言語というツールを使って生きているあたし達。
石もそう。確かに語りかけてくれるけど、それは、言葉として
じゃない。
石とのコミュニケーションを、あたしなりの言葉で解釈するなら、
石を見た時、石に触れた時、感じること、自分の感覚を通して
感じていることが、それが石からのメッセージなんだとあたしは
思ってる。
石は触れるからいいんだけど、星はそんな風に触ることも
できないから、仕方ないから、ホロスコープチャートに記された
記号を通して、感覚を広げていくしかないんだけど。その点、
石は、見て、触れて、ってできるからいいなぁ、と憧れる(笑)
********************
んじゃあ、魂のメッセージを聞くにはどうするの?
ってことになるんだけど、おんなじなんだよね。
結局、星も石も色も香りも、みんな、言葉じゃない。
言葉としてのメッセージは、誰かがそれを思考や
言葉というツールを通して降ろしてきた時に初めて
生まれる。
つまり、星も石も色も香りも、今世の中に出回っている
様々なツールを扱っている人々は(あたしも含め(笑))、
言語を持たないものにも、こんなにも情報が入っているんだよ、
ということや、言語を持たないものとも、こんな風にコミュニケート
することができるんだよ、ということを体現して見せているのかも
しれない。
例えばフラワーエッセンス。
あれは、エッセンスが言葉をしゃべるから、ひとつひとつの
エッセンスに解説書がついている訳じゃない。エッセンスに
ついている解説書を書いた誰かが、その人の感じとった
情報を書いている。解説書を書いた人、或はそのエッセンスを
作った人が、そのエッセンスから感じたことを、その人の言語で
書いたのが、解説書。
よく、解説書に書かれてあることは気にしないで、自分の
感じるままに、とか、直感で、選んでください、感じて下さい、
って言われると思う。それは、解説書の解説が、既に、
エッセンスからのダイレクトなメッセージではなく、解説
した誰かの言葉に置き換えられたメッセージだから。
誰かが言語化したメッセージは、例えばさっきの
「魂の記憶は消されてる」みたいに、誰かが翻訳した
概念のストーリーに囚われてしまう可能性がある。
いや、言語なんかないから、そのメッセージが
合ってる、とか間違ってる、とかが問題なんじゃない。
ただ、あなたはどう感じるの?っていう、あなた自身の
捉え方がそこにあった方がいい、ってこと。誰かの
ストーリーに囚われながら生きる、というリスクが
その分減るから。
きっと、それが自立に繋がっていくことなんだろう。
********************
これだけ色々書き連ねておいて、訴えておいて
何ですが、だからあたしはここで書いていることも、
いつも、鵜呑みにしないでね〜!って言ってます。
だって、ここに書いているのは、あたしが星やあたしの
世界観を通して、あたしの言語や感覚で、リーディング
した情報だから。
合ってる、間違ってる、じゃない。
どう感じたのか。それだけでいいと思う。
だって、同じことを見たって、同じことを聞いたって、
それを見た人、それを聞いた人で、受け取り方なんて
全然違う。
いや、同じ人だって、いつそのメッセージを受け取るかに
よって、感じ方も見え方も捉え方も変わるんだから。
けど、変わった時に、以前の自分が受け止めた
受け止め方が間違っていた、ということにはならないと
あたしは思うのだ。ただ、今の自分とは違うだけ。
それを広げたのが、色んな人によって、言ってること、
受け止め方、みんな違う、ということなんだと思う。
結局は、誰も間違ってなんかいないんだよね。
だから、裏を返せば、あたしが正しい訳でもない(笑)
ただ、あたしはあたしの感じることを、あたしの言葉で
書いていくだけ。
********************
そういえば、今回janeannのワークショップで気づいた
のは、janeannもリーディング中、
「わたしにとってこの石は、」
とか
「わたしのこの石によれば」
という表現をよく使っていたということ。
つまり、janeannも、とてもプライベートな主観で
石をリーディングしている、ということなんだな、
とあたしは感じたのだ。
それが、誰かに適用できるかもしれないし、できない
かもしれない。そこに、その誰かが取捨選択する自由が
あるのだ。
********************
そして、こんな風に言語をもたない存在とコミュニケート
する人たちが、今この時代に再び増えつつあるという
ことは、みんなに共通する、みんなが持っている、言葉を
持たないもうひとつの存在、すなわち、「自分の魂」と
向き合ってコミュニケートをする、ということを、分かりやすく
体現してくれている人が増えているのかなぁ、なんて
思った。


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