徒然に。part 2
先ほどの続き。
自分自身の感情の乱れとも思いっきりリンクして
いるネタなので、痛くて痛くて、なかなか書き進まない(笑)
ただ、先ほどの記事を書く動機となったこと。
それは
「人目を気にしながら生きるのに疲れ、すべてが嫌になった」
というこの少女の心境。
多かれ少なかれ、あたし達はみんな、こんなストレスを
かいくぐって生きてきたように思う。言ってみれば
「当たり前」なこととして。
でも、この少女は、それが耐えられなくて、その「人目」から
解放されるために、「人目」を殺害してしまうに至った。
「人目」から解放される手段に、殺害を選ぶことの是非は
ここで問うつもりはないけれど。
あたし達、特に日本人って、どちらかというと
「人目を気にして生きていく」のが、当たり前になって
いなかったけ??と、ふと思ったのだ。
あたし自身は、どちらかといえば、人目を気にしていたら
生きてこれなかったようなことを沢山している人間なので(笑)
きっと日本人歴が浅いんだろうなぁ、と思って諦めている。
でも、そんなあたしでも、やはり「人目って鬱陶しい!!」と、
お姑さんという存在を通じて、この年になっても痛感する。
特に、その「人目」が批判に満ちている時に、鬱陶しく
感じるものなのではないだろうか?
この「批判」が、先ほどの記事で書いた、おとめ座のテーマになる。
おとめ座の「批判」っていうのは、発端は「自分を理解する」
なんだよね。
自分を理解するのに、一番手っ取り早い方法は、自分の周りに
いる人と、自分を比較すること。そして違いを見つけること。
だから、自分を理解する、という本筋からいけば、本当は、
ここまででいい。
でも、どうしても、違いを見つけると、自分を正当化したく
なっちゃう。そこから「批判」が始まる。
「批判」は痛いよね。。。
批判に晒され続けたら、誰だって辛くなる。
ましてや、人は誰かに自分の価値を認められていたい
生き物だもの。
*********************
あたしが少女と同じような年頃だった頃、周囲からの
批判は、すべて「自虐」へと繋いでいた。評価されない
から価値がない、そんな風に思い、自己評価を低く保つ
ことで生き延びてきたように思う。
今思えば、
「価値がないから、評価されなくても仕方がない」
と、自分で思うようにしてきたのかな。批判されても
仕方がない、って。
そういう意味では、少女が父親を殺害してしまったのと
同じように、あたしも自分を「殺し」ながら、生きて
いたのかもしれない。
うぅ。
痛い、痛い。
*********************
みんな、こんなに痛いことをしながら生きているのが
当たり前だと思ってきたのかな。。?
そろそろ、これ、変えてみることはできないかな?
こんなことを書いている胸の内にはもうひとつの
思いがある。
それは、ここ最近の中国批判の風潮への懸念。
同じ時代に同じ地球に生きるものとして、決して
見過ごしてはいけない問題が山積みだということは
否定しないけれど。
だからといって、彼の国を批判していても、そこからは
何も生まれないんじゃないかな、って、危惧してる。
むしろ、今あたし達が中国に対して持っている目線って、
数年前に某国の大統領が
「悪の枢軸だ!!」と、
某国の提唱するグローバリズムに首を縦に振らない
国々を名指しにしたことに、近くはないかい?!
と感じているのだ。
だとしたら、「相手の行為を批判して攻撃する」
ことって、某国のその後を見ての通り、最果てのない、
パワーゲームの連鎖を巻き起こしていくだけなんじゃあ。。。?
*********************
実際、あたしとお姑さんとの間も、終わりを知らない
泥沼のこう着状態が続いている(笑)
ついには、最後の砦としてとってあった、
「嫌いにならない」という一線を越えてしまったので、
今ではお姑さんに対する激しい憎悪と嫌悪感が渦巻く中で、
恐ろしい日常を送る羽目に至ってる。
その発端は、
「孫たちが可哀相だ」
という、お姑さんからの「批判」だった。
そして、その批判を覆そうと、あたしも徹底的に
自分の信じる筋を通している。
きっと、この筋を通すことで、あたしはあたしの
「子育て」を全うできる日が来るのだろうけれど、
それには「批判」をかわすだけでは無理で。
「批判」されないように育児をするのではなく、
「批判」されても揺るがない「自分の何か」を
信じていく強さが必要になる。
それが多分「自己愛」、または、自己愛から
発展した「自尊心」ということなんだと思う。
つまり、「批判」されて、ただそれを消化して
いる段階では、何も生まれないということ。
逆から言えば、「批判」だけでは、相手を変える
ことはできない、ということ。
*********************
善いことも悪いことも。
アクションを起せば、リアクションが起こる。
激しく非難すれば、その非難のエネルギーは
そのまま、リアクションとなってどこからか
跳ね返ってくる。
だからといって、いきなり相手を抱擁することは難しい。
それも分かる。あたしだって今はお姑さんと目も合せたく
ない(笑)
でも、何かを変えていかなきゃね。
気づいた人から、何かを。
おとめ座の対向宮は「うお座」。
カオスを孕んだ big love。
そこにカオスがあるなら、何かを生み出すことだって
できるということ。
それなら、
「自分と相手は違う」ことを、ただ認めることから
始めてみるのはどうかな?
それがおとめ座のエネルギーの上手な使い方。
自分と相手は違うけれど、どちらも同じく
「愛」に値する存在。それを体現していくのが、
しし座のテーマ。
難しいけどね(笑)
やり時ってあるからね!やり時にやっておくと、
きっと大きく動く。
それが「今」なんじゃないかと、感じてる。
| Permalink
| Comments (0)
| TrackBack (0)
|



Recent Comments