Jun 23, 2006

人をみる(ーー; 追記

ホロスコープチャートのバランスシートでみると、
あたしに一番欠如しているのは"かに"的要素で。
自分でも、ほんとに、あたしは母性に欠けるよなぁ、
ってつくづく思う。母親なんだけどさ。親ばかな時は
あっても、子煩悩になれない、というか(^^;

それは、魂史上、過去に一度も母親という経験、いや、
もしかしたら親という立場すらも経験したことがないらしい
ことと、見事にリンクしていて興味深いんだけど(笑

昨日は珍しく、あー、なんか、あたし母親かもー!
って自分の中に、ちょろっと芽生えた母性らしきものに
気づいて、それもあって、覚え書き的意味も含めて
あの日記になった。

これはあたしのポリシーなんだけど、基本的に子供には、
他人の悪口になるようなことは言わないようにしている。
激しい嫁姑バトルを繰り広げていた時も、そう。
あたしと同居しているおかあさんのスタンスの違いは
教えるけど、どちらがいい、とか悪いとか、相手が悪い人で
あたしが正しい、とかっていうことは一切言わないように
務めている。

あたし自身がほぼ核家族の中で育ってきて、しかも
家庭(母)はスパルタ、学校はストイック、という逃げ場の
ない環境で長年窒息しそうになって生きてきたから、
子供たちには、小さい頃から色んな価値観の中で
甘えたり叱られたりしながら大きくなって欲しい、と
願っての同居生活スタートだった。

だからこそ、一方的に相手の存在を悪者と決めつけるような
ことは一切言わないようにしている。敵味方、正義と悪じゃない。
ただ、あなた達の親であるあたしとしては、こういう考えがあって、
あなた達には人として自立した人間になって欲しいと願うから、
こういうことはして欲しくない、とコンコンと説教をする。

だから、例えば、"おばあちゃんが何と言おうと、どうしてくれようと、
親のあたしはこういう考えだから、自分でできることは自分で
やりなさい"となる。その時に、おばあちゃんが間違ってる、とか、
そういう、相手の存在価値を批判するような伝え方をしないように
してるのだ。

ぴよこがたまーに学校からしょんぼりして帰ってきたり、妙に
苛々している時もそう。だいたい、そういう時には先生に叱られたり
友達と喧嘩して帰ってきたりなんだけど。

ぴよこから聞いている話は一方的な情報だし、相手の真意や
本心は分かりようもないけど、ぴよこを慰めつつ、なるべく
ぴよこが、相手に悪意があった訳じゃない、と思えるような
方法で相手の立場を解釈して説明して、ぴよこがその相手に
感情的なしこりを残さないように気をつけている。

酷いねー、イヤだねー、と、相手を罵ることは簡単だ。
そうやって敵味方、正義と悪でぱっきり区別して相手を
非難するやり方は手っ取り早い。

けど、小さい時からそれをやってると、その子の価値観を
狭めてしまう気がするのだ。 誰にだって相性というものが
あるし、好き嫌いがある。肌やウマが合う、合わない、も
あるだろう。その時その時の感情やタイミング、状況と
いったものまで考慮すると、相手の実像なんてものは
そうそう簡単に判断できるものじゃない。

これが、大人同士の会話だったらちょっと事情は変わって
くる。相手の価値観というものが見えてくるから、その
価値観に合わせての判断、というものも加わってくるから。
それに、相手も大人なんだから、自分で判断できるよね?
という信頼も加わるし。

けど、子供って、まだそこまで視野は広くないだろうし、
どういう人間になっていくのか、その可能性も未知の
ものだ。そんな繊細な時期に、親の価値観だけで
敵味方、正義と悪、というやり方で、子供たちの身近な
人間関係をカテゴライズさせるのは、あたしはどうかと
思うのだ。

第一、親が敵だ、悪だ、と決めつけた相手と、付き合って
いかなくちゃいけないのは子供たちだ。その葛藤や、親が
悪い人、悪い子、と決めることによって、すのまま素直に
相手を"ワルイヒト"とラベル張りしてしまうことの怖さ。

だから、昨日の一件はあったけど、あたしは担任の
悪口となるようなことは、子供たちの耳に入れようとは
思わない。例え、子供をかばっても、かばうやり方は、
相手が悪い人だから、というやり方にはしないつもり。

この姿勢を貫いてきて良かったのかもなー、と感じた
ことが以前あった。

ぴよこがまだ幼稚園生だった頃、何かの拍子にぴよこが
ぽろっと、

"おばあちゃんとまーちゃんは、タイプが違うんだよねぇ"

というような意味のことを言ったのだ。

それはまだ、嫁姑の溝が表面化する以前のことで、
あたしもまだ、同居を始めたばかりの、あたしとは
正反対でとても子煩悩な"先輩ママ"であるお姑さんに
畏敬の念と遠慮があった手前、自分のやり方というものを
自信を持って通さず、お姑さんのペースに合わせて上手く
大人な態度でやっていた頃のことだった。

けど、同居を始めた頃、すでにぴよこは4才。それまでの
日々のほとんどを、あたしと旦那にひっついて生きてきた
から、あたしのやり方というものを、肌で感じていたの
だろう。一緒に暮らし始めたおばあちゃんが、何か母親と
違う、ってことを、敏感に察知したのだと思う。

その観察力の鋭さに、はっとする思いをしたのと同時に、
それでいい、って思った。

タイプが違うだけなんだよね。
どっちがいい、悪い、とかじゃなく。どっちが正しい、
間違ってる、とかじゃなく。 ただ、単純にやり方が違う。
まずはそれでいいんじゃないか、って。

もちろん、人として、嘘をつくこと、盗むこと、傷付けること、
命を殺めることは、絶対やっちゃいけない、って日々、諭しては
いる。

嘘をついたり、傷つけたりは、絶対やっちゃだめ、って
言ったって、生きてる以上、どうしてもやむを得ないことも
あるかもしれない。あたしも厳しく叱るし、叱られたくない
一心で、子供たちも嘘をつくことも日々あって(^^;

でも、例えやってしまったとしても、少なくとも、これを
やらないように心がけることは、自分を自分で信じるに
値する人になる、という上でも大切な力になってくれる
筈だから、やっちゃだめ、って口を酸っぱくするくらい、
何度も何度も言い聞かせている。

けど、これらの、最低限、人としての尊厳を保つこと
以外のことで、敵味方、正義と悪、なんていう枠を
親が押し付けるのはどうかと、あたしは思うから。
むしろ、そうせざるを得ない相手の立場や心境を
少なくとも想像し、更に望むなら、思いやれるような
ゆとりを残した人になって欲しい、と思うから。

今日の面談で、何を言われるか、あたしはそれを
どう捉えるか、そこで何を相手に伝えるか。伝えずに
言葉を飲み込むのかは分からないけど。

まだしっかりと自分の価値観を持っていない子供たちに、
"あの先生、いやな人だねー" という伝え方だけは
しないよう、気をつけていたいと思う。

自戒の念を込めて。

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Feb 26, 2006

根を詰める人。

やってもうた。 倒れました。
いや、もう峠は越えて、快復に向かっているの
だけれど。

急性胃腸炎ってやつですかね。下のちび達が
立て続けに発症していたのが、ついにあたしに回って
きちゃった。子供の体で培養された菌って、すごくピュアで、
その分、大人に感染すると劇症な気がするのは、あたしだけ??

*********************

で、タイトルに話を振るのだけれど。 そもそも、事の始まりは
去年の4月。って、何もそこまで遡ることはないのだけれど(笑
まぁ、きっかけは、4月に、何となく引き受けてしまったPTAの
広報委員会。何となく引き受けたわりに、役員決めの時に、
うっかり副委員長という大役までお引き受けしてしまい、確か
あれはボイドの日だったんだよなぁ、と、今更ながら苦笑い
なんだけれども(笑

でも、委員長さんのご配慮もあって、全くの新参者のあたしは
3学期班を担当させてもらうことに。なので、1学期、2学期は
紙面に関しては本当に、手が空いている時に時々お手伝いさせて
もらうくらいで、後は月に一度のPTA運営委員会に顔を出したり、
PTA主催の行事のお手伝いに借り出されたり、と、まぁ、のんびり
やっていられた訳です。

今年度の広報の委員長さんはめっちゃやり手なお姉さまで、
上に今度高校生になるお子さんもいらっしゃるし、いわばPTAの
ベテランさん。広報にも何度も携わっていらしたそうで、3学期の
特集内容も、夏休み明けには既に大筋で決定して下さっていて。
あたしはその頃は、まだ自分がどんな役割を担っていくのかも
よく把握できないまま、ただ、特集内容にあった催し物があれば
足を運んで、取材の真似事をしてみたり、という程度。

あとは1学期班、2学期班の活動を通して、仕事の流れを
見させてもらって、広報紙って、こうやって作っていくのねぇ、
なんてのをちょっとずつ理解して。

そうやって迎えた去年末。11月にPTA主催のメインイベントが
あって、それが終わったらいよいよ3学期班に引き継ぎだよ〜、
と相成った訳です。

うわ、ついに来たかぁ。。。 覚悟はしていたものの、覚悟の他の
準備は何もできていないぞ<情けない、、、

そもそもあたしは、長に立つことに、とても臆病になっておりまして、
長になることに臆病になりなさい、といわんばかりの経験を過去に
沢山やらかして、恥をかき捨てて、なんとか生きながらえて来た
訳です。 って、まあ、そんな大袈裟なもんじゃないけど、でも、
なんか、学生の頃に長の仕事を引き受けた過去にまつわる、
ざらっとした嫌な感覚が払拭できなくて。

その経験を引きずったまま、社会人3年目に引き受けた長の
仕事で、またしても配下の子たちも自分自身も傷つける結果に
終わり、何もフォローできないまま、結果的に結婚生活に入るのを
機に引退してしまう、という、典型的なトラウマエネルギ−の放置
っぷりがあって。

一人目の子を産んだ瞬間、もうあたしはこれ以上重い責任は背負え
ません、と悲鳴をあげたのに、更に二人の子供に恵まれ、何で自分の
ことでいっぱいいっぱいのあたしが、3人の子どもを独り立ちさせるという
重役を授かってしまう羽目になるのだー!!もう、これ以上は無理!!と
可哀想に旦那は、独身時代と変わらない、全てやれることは自分で
やる、という生活パターンに引きずり戻され(苦笑、それに加えて、
育児も最初から巻き込まれてしまう始末。

ははは、でも、これはあたしが器用じゃなくてよかった。父親が
育児に参加するかしないか、って、子供が生まれてからの数ヶ月
間が、第一関門なんじゃないか、って、今は思う。うちの場合は、
あたし絶対一人じゃ無理、っていう思いが妊娠前からあったし、
実際出産後も一人きりじゃ危なかったし、精神的な危機もあった
からそれを乗り越えるためにも、結果的には旦那に、子育てに
参加する、しない、という選択の余地を与えてあげられなかったの
だけれど。

怖くて聞けない旦那の本音の気持ちは別として(笑、あたし的には、
父親がほぼ不在同然だった自分が幼い頃から無意識のうちに
求めていた、父親も完全参加型の育児の実現と成って、よかった
なぁ、って。

でもね。育児に関してはこれでよかったのかもしれないのだけれど、
この事は逆に、あたしが、長の立場トラウマと向き合う機会を
逃すことにも繋がっているのも確かで。あたしは、いつあたしが
どうなっても大丈夫なように、旦那一人でも何でもこなせるように
旦那にもあれこれやってもらっている。もちろん常時ではない、
あたしがやれる時にはあたしがやっている。でも、時々、旦那に
任せてしまえるようにしている。

でもこれも、裏を返すと、あたしが責任を取りたがっていない、
長に立つということに対して、腹をくくれずにいる、ということも
関係しているのかもしれない。

そんな流れの中で来たのが、今回の副委員長という仕事だった。

実は、それぞれの班には、きちんと班長さんの担当者もいて、
他の班でも、班によっては、班長さんが全て取り仕切っている
班もあった。なので、あわよくば、あたしも助言者的役割で
いさせてもらおう、なんて秘かに思っていたのだけれど。
その目論見は最初からものの見事に当てが外れてしまった。
3学期班には、あたしも含め、誰も広報を経験した人が
いなかったのだ(笑

ここで、いつもの、全ては準備なのだなぁ、に繋がるのだけれど、
結局あたしが、1学期、2学期を通じて、ちょこちょこ顔を出して
少しずつ参加させてもらいつつ、自分なりに仕事の流れを少し
でも把握できれば、と思っていた事が、やっぱりちゃんと役立って。
役に立ってしまっていた。未経験ながらも、仕事の流れを把握
できていたあたしが、3学期班の長を務めることに。うぅぅぅ。。。

いや、こうまで場が整うってことは、むしろ、自分から望んで
"長に立つ"トラウマ克服に挑んだのではないか、という気すら
してくる(笑

でもねぇ、これは本当に自慢話のようで申し訳ないのだけれど、
3学期班って、素晴らしいくらい見事に人材に恵まれていて、
もう、最初から最後まで、気持ちよく仕事ができたのですよ。
そりゃ、作るからにはいい紙面にしたいから、質にはそれなりの
こだわりもあって、その辺においての、心理的な攻防戦は
あったりもしたのだけれど、今回は自分でもびっくりする
くらい、折れる所はいくらでも折れて、お願いするところは
どんどん頭を下げてお願いして、謝るべきところはきちんと
謝って、ということが、自然にできてしまったのだった。

というか、人材に恵まれたからこそ、自然にそう振る舞って
いたのかもしれない。本当に有り難いことこの上ない。
読みに来てくれているか分からないけれど。

みんなどうもありがとぉ〜!!!!!!

そしてもうひとつ。思い切って任せてしまうこと。これも、
今までのあたしには出来なかったことだった。

今回、3学期班は、紙面構成から印刷まで、全行程が
自分たちの手作りだった。そういう意味で、11月の終わりから
活動に入れて、時間も十分あったから、何度も練っては、
駄目だしを喰らって、それでも練り直して、という作業も、
比較的冷静に乗り越えられた。その中で、特に紙面構成に
おいては、班のメンバーさん達が、それぞれ素晴らしい
才能を発揮してくれたのだった。

3学期班活動開始にあたっての、企画書はあたしが
作ったのだけれど、出来上がったものは、その企画書からは
予想も出来ない程の、変身の有り様!!それを実現して
くれたのが、班のメンバーさん達の才能だった。あたしは
口を挟まず、手を出さず、ただ、待っていただけ。

以前なら、そんなことはあり得なかった。今思えばあの頃は、
長たる者、長の責任において、長の目指す理想郷を完成する
ために、長自らが作ったマスタープランからはみ出した
ものは、全部却下!!!ってな具合で、自分の元に集まって
くれていた下の子たちを、マスタープランを具現化する
ための、ロボットのように扱ってしまっていたのだ。

マスタープランを実現するにあたって必要な作業をこなせ
ない子は容赦なく責めたし、それが原因で仕事を辞めざるを
得ない子まで出た始末。でも、当時のあたしには、自分が
何を間違ってしまっているのか、全然見えていなかった。
ただ、理想に向かって邁進しているだけ。このプランが
実現しなかったら、理想は実現しないのだから。間違った
ことはしていない。ただ、周りがついてこられないだけ、
そう思っていた。

うぁー、最悪。。。   今のあたしなら、あたしがそんな人、
そんなやり方に付いていけない(苦笑

**過去に巻き込んでしまった方々、本当に申し訳なかった。
嫌な思い、痛い思いをさせてしまいました、ごめんなさい。
わたしが間違っていました。本当にごめんなさい。
そして、いつかあなたのその傷が、癒える機会に恵まれる
ことを、心から祈っています。あなたのために、わたしのために。
未来と過去と現在のために。**

でも、今回、こうやって、任せる部分は手放しで任せてしまう、
自分の手に負えないことは、誰かにきちんと頼る、という事を
実行して、改めて思ったのは、うおのドラゴンヘッドの役割
ということ。祈りながら、ただ、待つ。それがあたしに出来る
ベストなのだということ。あたしがあたしの理想にしがみついて
偏執狂的に、全ての細部に拘って、何も許さない、という事を
始めてしまうと、宇宙から見たマスタープランは結局実現
されないということ。

そう。マスタープランを持っているのは、実はあたしでは
なくて、宇宙とか、別の次元とか、天上の世界というか。
哲学で言うところの、イデア、という概念が、マスタープラン
というものに通じるのかもしれない。とにかく、最初のマスター
プランは、あたしの中にあるんじゃないんだよね。あたしの
中に芽生えるマスタープランっていうのは、どこか別の
ところにあるマスタープランを、あたしがあたしのフィルターで
解釈して写し取ったもの。

だからそもそも、その時点で、完璧であるはずがない。
あたしのフィルターで希釈されたそのマスタープランの写しを、
いくら完璧に完成しようと頑張ったって、そもそもの大元の
マスタープランと既に違っているのだから、写しの細部に
拘ればこだわる程、大元のマスタープランが意図している
モノとは、違った方向に流れていってしまうということなの
だろう。

うおのドラゴンヘッドを持っているあたしは、その対極に
ある、おとめのドラゴンテイルの癖で、ついついプランや
理想そのものに忠実であろうとして、自分が作ろうとして
いるモノそのものに目を向けることを忘れてしまう。

そんな時、顕微鏡的視野から離れて、望遠鏡で天体を
覗くように、広い視野に立つためにも、あたしは、もはや
自分の手に負えない問題を、宇宙を信じて、自分から
手放して人に任せる必要があるのだ、ということ。今回は、
それを身を持って体験させてもらった。

あたしがしたことと言えば、みんなが考えてくれた
紙面構成の、詰めレイアウト作業と、フォント決め、
文章の練り直しぐらいなものなのだ(笑

*********************

それなのに、それなのにー!!  結局、どこかで根を詰めずには
いられないのが、太陽スクエア冥王星のエネルギーを持ってる
あたしの性格の成せる業なのよね。。。

最後の一ヶ月は、PCもプリンターも小学校に持ち込んで、
訂正箇所はその場で即座にプリントアウトして修正できるように
したし、もちろん、毎回自宅持ち帰りで見直して、昼間進めた
仕事で気になる部分は、その都度、修正をかけて。

そのお陰で、知らなかったWordの機能を、他のメンバー
さんに教えてもらえて、細かい手作業を大幅に割愛できる
ようになったし、過去の自分にだったら絶対無理だったであろう、
思い切った軌道修正も図れて、メンバーの皆さんの作業も楽に
してあげられる結果になったし(喜  本当に実りの多い活動だった。

あとはねー。この根詰めエネルギーを、どう上手に使い
こなすか、なんだよなぁ〜。

今回気づいたけど、結局、ひとつの事に集中していると、
どうも上手に気を抜けない自分がいるみたいなんだよね。
つまり、去年の11月からずーっと、広報の仕事が気に
なって気になって、自分でうまく気分転換を図れて
いなかった、という事。

先週の水曜日に印刷が終わって、木曜日に残りの提出物の
後処理を終えて、これで終わり〜、あとは打ち上げだ〜♪
と思っていた、打ち上げ当日の金曜日の未明から、突如
吐き気に襲われ、その日の朝、ちびのお弁当を作って、
送り出してから、荒川さんの金メダルの滑りを何度も
何度も見ながら、なんとなく体に不快感が芽生えるのを
感じて、あ、これは熱が出る予兆だ、と気づいて、朝から
結局1日ベッドで横になってうつらうつらしていた。
そして、嘔吐に続いて、下痢の症状。うぁ、これ、先日来の
ちび達のお腹の風邪がうつったんだぁ、、って。(泣

周囲でどんな病気が流行って、お子さんもメンバーさん
ご自身も倒れてしまって欠席者が相次ぐ中ででも、あたし
だけは、健康を維持していたんだけどなぁ、、、。つか、
子供が園を休んでも、うちは、同居している、旦那の
おかあさんという強い味方がいるからこそ、仕事を継続
していられたのだけれど。謝々!!

でもねー、そこまでキープしてきたのに、猛烈な勢いで
楽しみにしていた打ち上げ飲み会の、当日に倒れるなんて(泣
結局、今日、約2ヶ月振りに開催される、1月に一度のお楽しみ
のクリスタルワークのクラスも、熱は下がったけれど、諸事情から、
電車移動の時間が怖くて(苦笑、参加を断念せざるを得なくて。

それもこれも、つまりは、根を詰められる自分に甘えて、
過信して、やっぱり、どこかで無理をしてきた、っていうことの
現れなんだろうなぁ、って。

もうさー。いい加減、これ、やめたい。
根を詰めることだけはいくらでも詰めるけど、最終的な
詰めが甘い、という人生。つか、最後の詰め甘かったら、
結局、最後の醍醐味の部分、つまり、一番美味しいところは
味わえてないってことじゃん(泣

これからは、根を上手に詰めたいと思う。詰める時に上手に
詰めて、抜くときは適当に抜く、そして、最後の詰めをびしっと。

目指せ、詰めの甘くない、根詰め名人!!←なんじゃ、それ(笑

いんや。目指せ、ではなく。宣言。
詰めの甘くない、根詰め名人になります。
ちょうど、あと2年間は、そんなテーマも当てはめられそうな
グランドクロスが眩しい2年間だし(笑

こう、笑いながら根を詰めて、最後の詰めも、にや、って
笑ってぴしっと詰める、みたいな、そんな女を目指しま〜す♪♪

けどこれ、実現したら、本人、笑ってるけれど、やってることは
全然可愛くないかも〜(T▼T)

*********************

あ〜。ごめんなさい。
そんな訳で、なんだかせっかく色々とメッセージとか
頂いていたのに、お返事を返す気持ち的なゆとりが全然
持てませんでした。本当にごめんなさい。

でも、楽しく、嬉しく、読ませて頂きました、ありがとう
ございました♪ またのご縁がありましたら、どうぞ、
よろしくお願いしますね(^^*

051210michael

去年の12月、長崎県、中通島の教会で出会ったミカエルさん。
長崎の旅路では、そこかしこでミカエルさんに導かれていました。。。

そんなミカエルさんパワーのお裾分けです☆

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Apr 26, 2005

言葉を尽くすこと。

例えば100%の気持ちを正確に相手に伝えるために
150%の言葉を並べ立てること。100通りの例えを
使って、相手に伝えようとすること。

これが唯一、相手に気持ちを伝える手段だと、
あたしは思って生きてきた。

3hふたごの水星持ち。
言い換えれば、コミュニケーション能力抜群な感じ?

けれど、その同じ3hに、おうしの土星を持つあたし。
ストレートに読めば、コミュニケーションにコンプレックスを
持つ人、と取れる。

あたしが、150%の過剰な言葉を尽くすこと。
これが、あたしが気づこうとしていない、コミュニケーションに
対するコンプレックス意識の表れなのかもしれない。

そこに気づかなくてはいけない、そんな時期を迎えているのかも。

言葉に頼り過ぎなのでは?という意識を持ち始めたここ数年。
自分から、核心に近づかなくてはいけない時期を迎えているのかな。

今日もすったもんだあった。
信頼する人を失いたくない。
人を、信頼できる自分でいたい。

人が好き、と思う自分を、好きでいたいから。

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Mar 03, 2005

hippyと名乗ること。

実は、去年の10月くらいに、一度、cocologを開こうとして
いたことがあった。たまたまあたしが使っているプロバイダーが
niftyだから、というご縁だったのだけれど、諸事情あって、
その時は、申し込みだけして、他のブログを開くことになった。

その、最初にcocologに申し込んだ頃だったと思うのだけれど、
どんな経緯で辿り着いたのかは、覚えていない。ただ、ひとつ、
強烈なブログ記事があった事だけ、忘れることができずにいた。
それが、作家の室井佑月さんのブログにあった
< 占いの暴力と、そのつきあい方 >

この中で室井さんが書かれている、"占い師の方に占ってもらう
ことにおいて、あたしが厭なことは一つ。それは、占いの結果で
「あなたはそういう人間だから駄目なのだ」と説教されること。"
この箇所を読んで、無性に室井さんにお会いして占って差し上げたく
なってしまったのだった。お説教しない占い師もいます、って(笑

その時、cocologを開いていたら、あたしも即座にその記事に
track backしていたのかもしれないけれど、先程も書いたように、
あたしはその時、他のブログを開く流れになって、そちらに用意
されていたコミュニティでのお付き合いに忙しくなってしまい、
室井さんの記事にtrack backしてみよう、などと思いつくことも
なかった。

結局、またしても諸事情により、そちらのブログを続けることが
困難になり、あたしは、新たなブログを開こうと思い立ち、
あちこち転々としながら仮で開いてみたものの、なかなか簡単に
デザインをいじれるサービスがないことが不満で、やっと辿り
着いたのが最初に申し込んであったcocolog。振り出しに戻った
のだった(笑

最初に開いたブログは、とある方に用意して頂いたスペースだった
ので、自分で選んだ訳ではなかったのだけれど、お陰様で、ひとしきり
ブログの事はお勉強させて頂けたので、今となってはいい修行をさせて
頂いた期間だったなぁ、なんて感謝しつつ、コツコツと一から全部
自力で立ち上げたのが、今回のブログ。それだけ思い入れも強い。

この、思い入れの強いcocologに戻ってきたら、室井さんがこちらで
ブログを開いていらっしゃったことに気づいて、驚いた。以前室井さんの
記事に辿り着いた時には、それがブログ記事だったと事を、全く理解して
おらず、むろん、cocolog内のブログだった事も知らずにいたのです。

でも、今回はひとしきり武者修行してきた後だったので、さっそく
室井さんのブログを覗きに行って確認してみたら、やっぱり以前読んだ
記事が、こちらのブログの記事だったことがわかり、それからというもの、
あたしは、いつか室井さんの記事にtrack backするぞ〜!!と、虎視眈々と
そのチャンスが来るのを待ち構えていたのだった。

そしてついに、アンテナに引っ掛かる記事を見っけ♪♪
< 少数派でいる勇気を持て >
でも、この記事だけじゃ、あたしがわざわざ自分のブログに
記事として書く動機が薄すぎる。 んー。と困っていたら、
またしても、まるで用意されていたかのように、思わぬ所で
ちっこいもめ事が勃発(笑

これはいい起爆剤、とばかり、さっそく今日こうして記事を
書くことにしてみた。

前置き、長いなぁ(笑

Continue reading "hippyと名乗ること。"

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